2021/09/28初めて自作駒が売れた日のこと

9月28日は思い出があります。
初めて自作の駒が売れた日です。

2008年の9月27日と28日、関西駒の会の展示即売会が大阪のATC(アジアトレードセンター)で開催され、当時専門学校1年生だった私も声をかけていただき展示会に参加させていただきました。ATCは大阪市内ながらややアクセスが悪いのですが、プロ棋士の指導対局や、駒の会代表と畠山先生との席上対局など駒の展示以外のイベントも色々と準備されていてかなり盛り上がっていた印象があります。

展示会も中盤に差し掛かったころ、私の駒を買いたいという人が現れました。年配の男性で、ご家族と一緒にたまたま通りがかって興味を持たれたようでした。その時に出品していた駒は、9作目清安彫り駒11作目菱湖彫り駒。男性は清安の彫り駒が欲しいと声をかけてくださりました。

ただ、少し値段を下げてほしいと交渉が始まりました。
当時付けていた値段ははっきりと覚えていませんが、アルバイト3日分くらいの額だったと思います。相場が全く分からず、「趣味のことでお金がもらえる」ことに戸惑ってお小遣いの感覚で値段をつけていたのだと思います。
さすがに元々の値段が安いこともあって当時駒の会の世話人だったHさんが「お父さん、これ以上引いたら材料費もありませんよ」と助け船を出してくれたのですが、その男性もなかなか引き下がってくださらず、平行線の時間がしばらく続いた時に事件が起こります。

「私が値札の価格で買います」と、別の男性が現れたのです。

その後どう事が進んだか、もう13年も前のことで事細かには思い出せないのですが、結局展示されていた清安の彫り駒はあとから現れた男性が買って帰られました。
そして初めに買いたいと言ってくださった年配の男性はと言いますと、Hさんやほかの駒の会の方も交えてお話をしたのち最終的には「あれと同じものを作って」と話がまとまったのです。

つまりこの日は自作駒が初めて売れた日であると同時に初めて依頼を頂いた日でもあるのです。
(追作の清安は第12作として作品集に載せています。)

そしてそのあと展示していた菱湖の彫り駒も売れていきました。

18歳の新米アマチュア駒師にとってはあまりに濃厚な時間でした。もしずっと私一人で対応していたら、うまく対応できずに誰かを怒らせたり、悲しませたかもしれません。関西駒の会展示会の場で、メンバーの皆さんに助けてもらいながら初めての売約という経験ができたのは幸運だっと思います。

その日を境に、自作駒も依頼を頂くようになり、現在はほぼ全て依頼を頂いて制作させていただいています。
それまでは「自分の娯楽」だった駒づくりが「誰かの喜びのため」に変わり始めたそのスタートは2008年9月27日、28日でした。